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子供の頃に親にされて嫌だった原体験

子供の頃に親にされて嫌だった原体験

 

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子どもの頃の原体験って、今振り返ってみるととっても納得いかないことがあって、しかもそれが自分の人間形成にかなり影響していることがあります。

 

自分が子育てするときには、自分の子供時代を振り返って、これは嫌だったなと思うことは気をつけていきたいと思っています。

 

親にとっては何気ないことでも、子どもにとってはそのインパクトが将来に大きく関係してくるからです。

 

親が他人の前で、自分の子どもをバカにしてはいけない

 

私の母親はとてもよそ行きの顔を持つ人で、他人にええカッコしようという意識の強い人でした。

 

ですから、私もそれに応えようと一生懸命にまじめに生活をして、気に入られようと生きていました。

 

そのためか、あまり家の中では細かい指摘などはされなかったのですが、いつも嫌だったのは授業参観や運動会などの行事で、友達のお母さんたちと出くわすときです。

 

親同士が当たり障りのない挨拶をするのですが「いつもオタクの〇〇くんはお利口さんでいいですねー」なんて社交辞令で声をかけられたら、オカンの暴言が炸裂するのです。

 

「そんなんねー、ウチの外だけですよ、ホンマに。家ではお手伝いもしないし、ゴロゴロ寝てばっかりやし、勉強もせーへんし、ホンマにダメな子ですわ。ハハハー」とかなんとかボロカスに子どもの私をこき下ろすのです。

 

そういう謙遜の仕方というのは当時から分かっていましたが、そんなに仲良くもない友達にそんな話を聞かれるのも嫌だったし、オカンはそんな風に思ってたんかとか感じるのも嫌だったし、何より今のオカンが一番外ヅラやんかという矛盾が本当に嫌でした。

 

親というのは子どもを守ってくれるものだと信じていた私にとっては、親が自分のメンツを守るためなら、子どもをバカにすることも平気という衝撃の原体験でした。

 

このことで、私は今なお完全には人を信用できない人間になってしまったと思っています。

 

子どもを人前で褒めると「親バカ」なんて言われますが、私は躊躇なく人前で子どもを褒めます。人前で子どもをバカにすることこそ、文字通り「親バカ」だからです。

 

親がたまにしか見ない勉強に口を出してはいけない

 

私の父親は基本的に子育てに無関心というか、私に無関心で、ほとんど接した記憶がありません。

 

そんな父親が酔っていたのか、なんなのかは分かりませんが、私が小学校3年生のときに「勉強みてやろう」とか言い出して、「教科書持ってこい!」とかのたまったことがありました。

 

ちょうど掛け算の筆算などが始まった頃で、私は苦手なところだったので、出来ないのがバレるの嫌だなぁと思いつつ見せると案の定、突然怒り出しました。

 

「なんで、こんなのが分からないんだ!」

「ちゃんと先生の話聞いてるのか?」

「〇〇くん(← 6年生の兄)これ見てみろ!」

「こんなに分かってないぞ!」

 

どういうわけか兄にまで私の出来なさを報告し始めて、そのまま習ってもないページに進んで、分からないというと同じようにダメ出しが連発されるという大事件に至りました。

 

その後、私が一度たりとも父親の前で勉強らしきことをする姿を見せたことはありませんでした。

 

困っている子どもの悩みに寄り添うこともせず、頑張っている部分のプロセスを見て評価することもせず、一緒に伴奏して共に成長しようという気持ちも何も感じなかったので、関わらないことが一番という判断を瞬間的に下したからです。

 

この原体験から、未だに私は直感的に苦手なアプローチをしてくる人を最初の段階から遠ざける癖がついています。

 

良い部分もあるのでしょうが、社会人としてはやや失礼な人間になってしまったなと思います。

 

また子どもから親に一発レッドカードということがあることを知っているので、親としては子どもの心に寄り添うことを大切にしています。

 

親が子どもの進路相談を裏切ってはいけない

 

私の人生における最大の裏切り行為は、高校3年生のときの親の行動です。

 

海外思考の強かった私は、中学生の後半くらいからは将来は外国で生活して、世界を舞台に働くんだと強い意志を持っていました。

 

そのため高校1年生のときから、親にも担任の先生にもはっきりと意思表示をして、卒業後はアメリカ留学することを伝えていました。

 

方法から費用まで毎日徹底的に調べて、正確な情報と、圧倒的な情熱でプレゼンしていました。

 

親と先生との3者面談でもずっとその話をしていて、全面的に応援してもらっていました。

 

ところが高校3年生の夏の3者面談において、ひとしきりいつものようにアメリカ留学の話が終わったときに母親がこう言いだしたのです。

 

「先生、そろそろきちんと話してやってくれませんか? この子は何も考えていません。良いことしかみていません。出来るわけないことを平気で話しています。こういうことは先生からちゃんと指導していただかないと困ります。」

 

両親ともにですが、とくに母親に関しては、子どもの教育責任は学校の先生にあるという考えの強い人でした。

 

私には兄と妹がいますが、2人の兄妹も似たような考え方で育てられています。先生がダメなら、行政機関が面倒見てくれないと困るという感じの親でした。

 

とにかくこうして私の留学の夢はなくなり、それ以降、私が親を信用することはなくなりました。

 

学費も生活費も、奨学金とアルバイトでまかない、大学時代にした留学もすべて自分でお金を集めてやりきりました。

 

その後の人生は就職も結婚も転職もなにもかも親には事後報告で、何か人生の岐路で相談したことはありません。

 

高校卒業以降はお金を出してもらっていないので、「親に大学まで出してもらったし」というような恩も感じていません。満額借りた奨学金も必死で根性で完済しました。

 

こうした10代までの原体験は今なお私という人間を形成する大きな要素になっており、私の子育てにも影響しています。

 

私は子どもがどんな将来をデザインしたとしても、出来るサポートはすべてフルコミットする覚悟は出来ており、どんな夢でも口出ししないことを決めています。

 

まとめ

 

子育ては、ボーッとやっていると、自分が育てられたようにやってしまいます。

 

少なくとも自分が子どもの頃に親にされて嫌だったことは、自分の子どもにはしないようにしたいです。

 

 

 

 

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