ヒロキブログ

サラリーマンのキャリア戦略

適応障害から一年、心の病について振り返る

適応障害から一年、心の病について振り返る

 

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去年の11月のことを思い出そうとすると断片的にしか記憶はないものの、おそらく人生で最も苦しんで生きていた時期になるのだと思います。

 

去年の今頃というのはまだ精神科にかかっていませんでしたが、どこからどう見ても完全なる病人でありました。

 

しかしながら病院に行っていないので、今自分が病気なのかどうなのか判断がつかない精神状態でした。当時は自分が病気であると自覚する余裕さえありませんでした。

 

これがメンタル疾患の怖いところです。

 

一年前のことで、まだリハビリ真っ最中だと思っているので、笑って話せる思い出とまでは消化しきれていませんが、少しは落ち着いて来たので、落ち着いて振り返ってみたいと思います。

 

パワハラで心身ともに崩壊していた一年前の今

 

去年の7月に転職した私は入社当初からえぐいパワハラに悩んでいました。

 

「やる気あんのかコラ! あぁ!ー!」「高卒の新卒給料からやり直せ!」「どんくさい、出来るわけない、どうしてくれんねん!」と鼓膜の振動を感じるくらいの爆音の怒声で恫喝を受けまくっていました。

 

社風の違いと言ってしまえばそれまでですが、組織の全員がそれを受け入れていたので、他所から来てその環境に疲弊している私は、完全に「メンタル弱っちい奴を間違って採ってしまったわ」という感じでみられていました。

 

4ヶ月がたった10月には下痢が止まらなくなり、不眠が続いて、24時間アタマの中に自分が恫喝を受ける映像が頭の中で再放送が続く地獄の事態になりました。

 

そして11月の終わりのある日、完全に仕事のパフォーマンスが落ちまくって顔面蒼白になっていた私は、それまでに受けたことのない最強レベルの恫喝を受けて、ついにおかしくなってしまったのでした。

 

食欲はあって、お弁当も広げられて、お箸でご飯を口元まで運べるのですが、最後のアクションでカラダが止まるのです。

 

箸を口の中に運ぶことも、頭を前に持って行って口で食べ物を食べに行くことも出来ないのです。

 

自律神経がイカレてカラダに正しい指令が出さなくなっていたのです。お腹を壊してもいないのに下痢が止まらないのも自律神経の不調でした。

 

精神科で投薬も効かずに休職へ

 

転職のときは「あなたなら1〜2年で海外駐在できる! お願いします!」と経営陣に頼み込まれて転職してきたはずだったのですが、配属された部門の上司の元で要求される仕事はお弁当の買い出しや会議室の予約などの下積みから。

 

それでも海外駐在を約束されて来たんだしと、なんでも言うこと聞いていたら、いつのまにか動けないカラダに。

 

こうなってしまったら大切なのは自分の海外の夢やプライドなんかではなくて、家族のみんな。

 

もうこんな会社辞めてもいい、一生まともに働けなくてもいい、これ以上こんな親父を子供達にみせられないというギブアップの気持ちで精神科に駆け込みました。

 

睡眠薬と抗うつ剤でカラダを休めることに専念しました。

 

パワハラ上司にも直談判して、「アナタに怒鳴られてアタマおかしくなりました、死にたくないから休ませてください」と仕事しない宣言をしました。

 

夢を諦める決断さえできれば、恫喝上司も全く怖くありませんでした。ボロボロの親父の姿を家族に見せ続けることのほうがよっぽど苦しいことでした。

 

12月、1月と薬を飲んで休みまくったおかげで下痢は治り、食事も睡眠も安定してきました。

 

でも一度折れた精神は治りません。病名をつけることを遠慮していた精神科医の先生も「適応障害」として診断書を書いてくれて2月、3月は休職になりしました。

 

仕事だけやってきた自分の15年間に渡る築き上げたサラリーマン人生は終わったなと涙が止まりませんでした。

 

休職から復職して、発病から一年経ちました

 

休職中は転職活動もしましたし、今の職場は辞めるつもりでした。そこそこの条件の会社からいい話もありました。

 

でも休職中に職場の何人かの方々がとても頑張ってくれて、通常は現職場復帰となるところを異動させてくれました。

 

訴えられたらマズイとかいういろんな背景もあったのだと思います。でも少しの優しさでも感じることができたのはとても心の安定になりました。

 

自分が唯一この人とだったら働きたいなと思っていた先輩のチームでの復帰となりました。

 

4月は時短復帰で、5月6月は残業出張禁止勤務、7月8月は定時内の出張のみ可能勤務、9月から徐々になら出張も可能という勤務条件でした。

 

半年が経って10月からは本人判断でという感じでしたが、振り返ると信じられないくらいスムーズに復帰出来たと思います。

 

去年の7月に入った会社で、たった半年の社内人脈で、唯一この人となら働けるかもと思っていた上司との仕事です。

 

最初は自分のカンにも自信がなく、5月くらいまではやっぱり回復したら辞めようと思っていました。

 

でも、この上司との仕事は最高にやりやすく、なにもかも自由にさせてくれたおかげで、自分も周りも驚く回復劇となりました。

 

本当にこの人と働く環境で復帰していなければこうはなれなかったと思います。ラッキーとしかいいようがありません。

 

10月の半分は宿泊出張で、海外も行きました

 

10月は13日泊まりの出張で、そのうち一週間は上海にいました。それなりにしっかり仕事を出来ていると思います。

 

休職明けの人間が誰よりもフルスロットルで働いているような状況ですが、自分の中では常に70%くらいのエネルギーで燃費良くやっています。

 

振り返ると、去年の7月に転職してきたときは、それまでの経験と実績で、自分はここなら誰よりも何でも出来ると過剰な自信に満ち溢れていました。

 

事実として以前の職場に比べて現在の職場の仕事の難易度は低く、2段階層くらいは上位の仕事が出来ると思いました。

 

それが何をやっても恫喝につぐ恫喝でハナへし折られ続けたのですから、おかしくもなります。

 

今もときどきあるフラッシュバック

 

去年の辛かった季節になったからなのか、振り返る余裕が出てきたからなのか分かりませんが、たまに恫喝されてたころのことを思い出してイライラすることがあります。

 

ただそれについてイライラを受け止めるのではなく、疲れの信号と思って、そんなときはあっさり休憩するようにしています。

 

ちょっとでも疲れたなと実感したときは迷うことなく休みます。誰の目も気にしてないので仕事中でも職場の外に出たりします。

 

心の病というのはじわじわくるので、早めに休まないと間に合いません。ほんの少しでも異変を感じたならその感覚に素直に従わねばなりません。

 

我慢してまで叶えたい夢は、実現に無理があると諦めました。他の方法で楽しく幸せな毎日を大切にするように生き方を変えました。

 

心の病の先に見えてきたもの

 

まだまだリハビリ中なので、油断してはいけませんが、一年前よりずっと気楽な生き方ができるようにはなっています。

 

職場を離れたコミュニティでの友達も増えたし、子供たちとのバカ騒ぎも毎日やっています。

 

人生好転ブログと題したこのブログも休職中から毎日更新しています。毎日考えをアウトプットするのは癒し効果があって、精神を落ち着かせてくれます。

 

仕事がなくなると思って始めた側面もあるのですが、誰もが驚くほどブログ収入はありません(笑)。半年以上やってますが収益総額は本一冊が買える程度のクソレベルです(笑)

 

でもそんなんでいいっかーぁと思って毎日笑いながら子どもたちと遊び呆ける生活に満足しています。

 

もう仕事人間には戻れませんが、サラリーマンでも好きなことだけやって生きていけることがわかりました。

 

これからも無理することはないですが、きちんと求められる成果は出します。

 

そうやって結果をだす楽しさも持ちつつ、組織に依存せず、焦らず慌てず、自分らしい生き方を作っていきたいと思っています。

 

来年の今頃はどんな景色を見ているのか楽しみです。

 

 

おわり

 

 

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