スマホを子供に持たせるときのルール以前の話
スマホを子供に持たせるときのルール以前の話
成毛さんの本を読んでて、子供にはいろんなデバイスを与えましょう、トラブルがあったらデバイス以前の問題という言葉があってササりました。
要するに子供にスマホを与えたらよくないんじゃないかと思って、いろいろルール決めるとか、制限するとかあるけど、なんかあったらやっぱりスマホはダメだ危ないとかなる、それってほんとにそうなの? ちがうでしょ? って話です。
成毛さんのメッセージはスマホとかタブレットとかそんなデバイスが悪いんじゃなくて、テレビとかゲームとかが悪いんじゃなくて、問題が起きるのは親子関係とか夫婦関係とかそういう「それ以前の問題」があるんじゃないの?
そういう根本的なことに目を向けない人がすぐに「スマホは悪!」って決めつけてませんか? 思考停止してませんか? っていうことです。
「スマホ持たせるときのルール」みたいなのよくネットでも見かけますし、それはとっても大事なんですけど、その内容よりもそれをいう人との関係かなって気もします。
自分のこども時代を振り返ってもなんでそんなこと言われなきゃいけないんだって気持ちがあったし、親ってそんなにえらいの? とも思ってました。
上司も同じですけど、親がお小遣いとか受験の費用とか食費とかお金を握ってるから支配下にあるってアンフェアなんですよね。
会社組織でも上司が評価者であるというアンフェアさで、信頼関係よりもその支配関係が優先する。
でも親や上司は自分の信頼でうまく言っていると勘違いしてしまうので、お金の問題さえクリアされたら破綻する関係なんです。
つまり親がいくら子供をコントロールしやすいスマホルール作ったとて、結局のところ最終兵器は「取り上げる」という強硬手段しかないならそれってきっと信頼でつながったルールではなくてお金でつながった支配関係というなの不信感なんですよね。
子どもが自分でお金を持ってスマホ使い出した瞬間に破綻するルール。
高校生になってバイトしだして、自分でこっそり2台目のスマホ契約しちゃって、あたかも親にはいい子でやってます風にみせても、21時に電源切って親に渡してるスマホなんてただのダミーだよって話です。
知らないのは満面の笑みの親だけという残酷な話です。
子どもが何か悪いことをするときに、親の顔が浮かぶかというのは一つの大きな基準で、悲しませたくないという気持ちが湧く子と、悪さしてでも自分のことを気にして欲しいという子もいます。
そろそろスマホ持たせる年齢かなとか、スマホの使い方よくないなと考えたら、スマホは危ないから、ゲームは良くないから、新しいデバイスなんてと思考停止せずに、それ以前の親子関係について今一度しっかり考え直して、逃げずに話し合いたいものです。