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サラリーマンのキャリア戦略

職場で「笑いすぎ」と言う人は「笑うな」という意味で言っていた

職場で「笑いすぎ」と言う人は「笑うな」という意味で言っていた

 

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生まれも育ちも関西でして、日常的にお笑いを見て育った人間としましては、めちゃめちゃ盛り上がって面白すぎるときに一番笑っている人間に「笑いすぎ!」と言ったものです。

 

それはもともと話を切り出した人への「その話面白いよ」という褒め言葉であり、自分も思っていたこの話面白いということを自分もそう思うよという共感を込めて「わかるわかる」という意味で「笑いすぎ!」と言っているのですね。

 

ところがこれが全員の共通理解ではないときがあります。本当に言葉の意味そのままで、「笑いすぎている」「度がすぎるからやめなさい」という意味で使う人がいるのです。

 

笑うことがよくないことと考えているひとたち

 

まぁまぁ、真剣に仕事の話をしているときに、大笑いしたら流石に注意されますから、それはダメだというのは承知の上での話です。

 

職場での会話も潤滑油的な雑談があるもので、そのおかげで本質的な議論がスムーズになることってあります。

 

そのときに決して誰かを馬鹿にするとか、いじるような形ではなくて、シンプルに「楽しい感じ」の雰囲気なって笑っていい場面ってあります。

 

私はそんなときはこの楽しい雰囲気をみんなで分かち合うために、気持ちよく話すために笑うことがあります。

 

ところが職場では笑うという行為に根本的に悪のイメージを持っている人が一定数います。

 

そういう人たちは普段からしかめっ面で、苦しんでいる状態が仕事だと思い込んでいるので怖いです。

 

「笑いすぎ」は笑うなという意味と知った瞬間

 

あるとき笑うことが悪とまでは言わない感じの、そこそこ若手にも理解のある方の管理職の人が、2種類の「笑いすぎ」を使い分けていることに気がつきました。

 

ひとつは爆笑につぐ爆笑の中で、大笑いしている人にいう「笑いすぎ」です。私の馴染みのある笑いすぎです。

 

もうひとつは、何か面白い話があって、それで場が盛り上がっているのだけれど、内容がイマイチだったり、気に入らないときの「笑いすぎ」です。

 

このときの「笑いすぎ」は声のトーンが落ち着いていて、小さめの声で、目は殺し屋のような目をして発せられるものです。

 

私はこの殺し屋の「笑いすぎ」に気がつくのが遅かったのです。

 

ぶっちゃけ殺し屋の「笑いすぎ」は気付きにくい

 

そもそも、ドッと場が湧いていますので、声のトーンが控えめだと、その「笑いすぎ」はあまり目立ちません。いつものオモロイ方の「笑いすぎ」かなたしか感じません。

 

ましてやみんなが笑っている中で、ひとりが殺し屋の目をしていてもその人を見ることってほとんどないので、気がつきにくいのです。

 

「笑いすぎ」という人の皮はしっかり見るべき

 

笑うことをよくないと思っている人がいることは理解しておかなければいけない情報です。

 

人の性格は変えられないので、その人のそういう特性を自分の脳内データベースに保存しておかないと自分が思わぬところで殺意の視線を浴びるリスクがあります。

 

笑うことを嫌いな人の前で話は不用意に笑わない。特に自分が一番目立つような笑い方をしない。

 

こういうデータは正確に自分の中に蓄積させていくことが人間関係を円滑に行い、自分自身のメンタルを守る方法の一つです。

 

まとめ

それでも私は笑うことが大好きなので、職場に笑うことを広げていきたいという大きな野望もあります。

 

ですから、場面を選びつつ、小さく引っ込まずに、自信を持って笑うところと、リスク回避のために笑わないところとのバランスを瞬時に判断できる人になることを決めました。

 

きっと笑うの嫌いな人も、いつかどこかで気持ちよく笑える日が来るはずです。

 

 

 

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