パワハラ適応障害の休職体験談ブログ
パワハラ適応障害の休職体験談ブログ
(パワハラ適応障害で2ヶ月休職したパパの復職までの12話の実話です)
8月(転職2ヶ月目)
その日は朝から台風が上陸しており
そもそも出勤が危ぶまれた日でした
転職経験のある方は
お分かり頂けるかも知れませんが
転職者の住まいは
勤務先から遠いことが多いのです
我が家も類にもれず
出勤に1時間以上
帰りは乗り継ぎによって
1時間半かかります
ローカル線を3本乗り継いでの
電車通勤です
会社は事業規模としては
かなり大きく
組織としての
サポート体制は万全です
出社まもなく
天候による電車の運休に備えて
速やかに帰宅するように
会社人事部からの指示が出ていました
転職前の職場で
私はそうしたイレギュラーな状況での
対応責任者をしていましたので
速やかにに帰宅をしようと
準備を始めました
ところが
会社から徒歩圏内に住んでいる
若い社員は帰ろうとしません
「今日のうちに終わらせておきたいんで」
「どうぞ先に帰ってください」
とむしろ遠方から通勤する
私の電車のことを気にしてくれます
翌日はその若手社員と
お客様訪問という予定もあり
私がここで帰宅難民となり
明日まともに出張できなかったら
どうにもなりません
そうなるんだとびっくりの反応で意気消沈
徒歩圏内に住むその若手社員には
速やかに帰るように話した上で
自分は東京に出張中の上司に
「お隣の部署の部長さんをはじめとして
職場のみなさんは順次帰宅を始めています」
「電車の乗り継ぎにリスクのある私も
本日はお先に失礼させて頂きます」
との連絡をいれました
その結果・・・
「なにを眠たいことを言っている?
高卒新入社員の給料からやりなおしますか?」
との返事
入社1ヶ月で試用期間中の私に
人事決定権を持つ上司から
このリアクションです
この事件は私にとって
ハンマーでぶん殴られたような
大きなショックを受ける出来事でした
どうしてそこまでショックをうけたのか??
すでにこの前の段階で
はっきりとした自覚はなくとも
私は相当に神経をすり減らし
気を張り詰めてていたのです
自分は早期の海外派遣候補
として採用され
マネジメント経験を
評価されて転職してきたはずです
想定していた仕事内容と違うこと
あれこれ命令ばかりされていること
とにかく鬱憤がたまりにたまっていたのです
実力で結果をだして
この上司を黙らせる
そういう鼻息を荒げた状態で
肩に力を入れまくっていたのです
そんなときに自分の価値は
会社の中で最低レベルだと
突きつけられたのです
(決して高卒の方のレベルが
低いという意味ではありません)
立ち直れないショックを引きずって過ごす日々
その日はそれでもすぐに帰宅して
あとは在宅でのサービス残業です
心身ともにふらふらになりながら
チームの若手全員に
深夜までかけて連絡をとり
無事に帰宅できたかを確認の上で
安全報告を上司にしました
内臓を吐きそうなくらい
気持ち悪い一日でした
8月1週目のちようど
転職一ヶ月目というときの出来事です
夏休み明けの仕事
夏休み休暇をはさんで
8月の後半からは
10月に海外派遣される
若手の後輩のお仕事を
全面的に私が主担当として
まわしていくように命じられました
まともに業務は教わっていないので
どうすればよいか分かりませんが
冷静にやれば出来ないはずがない
という自信はありました
どうしても上司の判断が必要なことは
適切に上司に問い合わせます
それくらいのコミュニケーションはとります
それが仕事というものです
でもまともに質問には応えてもらえません
言われたとおりのことをやって
「そんなことができるわけがないだろ!」
「なんてどんくさいんだ!」
「勝手にやるな」
「まだ終わってないのか!」
散々大声で怒鳴られてしまい
完全に黙り込んでしまったこともあります
この時点で8月前半の
台風帰れない事件のショックが
まだ払拭できていないことも影響しています
自分はダメなやつと思われている
自分は引い評価を受けている
海外駐在なんてどんどん遠ざかる
とネガティブな思考にながれていきました
そのころママは??
8月といえば夏休みです
この年は初めてこどもと
ディズニーランドにいきました
家族で始めてのディズニーランドが
楽しくないはずがありません
新婚旅行でも
フロリダのディズニーランドに行ったくらい
大好きな場所なんです
それがうっすらとは
記憶に残っているものの
あまり明確に楽しかった思い出が
アタマに残っていないのです
ましてやディズニー以外の
夏休みのことは何も覚えていません
実際に奥さんに聞いてみると
私は楽しそうにはしていたけど
どこかカラ元気というか
ボーっとしていたそうです
夏休み以外の週末も
私がこどもを遊びにつれて行くことは
全くなくなり
ゴロゴロと家で過ごしてばかりでした
心身ともにどうにもならなくなっていました
それでもこの頃の奥さんは
「ひとつずつ仕事を覚えれば大丈夫だよ」と
一緒に勉強を手伝ってくれたりもしました
転職をサポートしてくれたときと
変わらず二人三脚で
転職直後の局面を
乗り切ろうとしてくれたのです
つづく
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