愚痴ばかりだと病気かと思われるけど、愚痴を言わないと病気になる
愚痴ばかりだと病気かと思われるけど、愚痴を言わないと病気になる
私はもう15年以上社会人をやっていますが、本当に愚痴というものが嫌いで、新入社員の頃から宴会で誰かの愚痴が始まったらその場からいなくなるくらいでした。
時間が惜しくないのかと思っていまして、愚痴を言うことが何も生まないことに気がついていない人といることに疲れていました。
それでも何年経とうと何歳になろうと会社員の飲み会では多かれ少なかれ愚痴大会は行われます。そのうちにそもそも宴会にもほとんどいかなくなりました。
タバコも吸わない、酒も飲まない、酒なしでも宴会に来ない、そんな生活をしていたら、誰よりも突き抜けて強くなれると思っていました。
そんな私は昨年パワハラで精神疾患にかかり休職するまでに至りました。
無事に復職して通常通り仕事が出来るようになって、だんだんと周囲の人も休んでたことは忘れ始めて、それはそれでありがたいのですが、同じくだんだんとあたりも厳しくなってきました。
リハビリ中は出勤が仕事みたいな感じでだったので、周りも腫れ物に触るような対応ではあるものの、赤ちゃんを守るように接してくれていました。
私も仕事しないのが仕事みたいな悪ノリもありました。精神科医からそれでいいと言われてあました。
でもどんどん回復して、そこそこまじめに仕事もするものですから、予想以上に成果も出てきて、ちょっと目立つ仕事もやり始めました。
するとこれまで時間通りに出社してたらオッケーみたいに言ってきてた人も、やれやって、これやって、明日までにやって、いますぐやってみたいになってきます。
出来るうちはいいです。大丈夫です。
エスカレートしていくと、何やってるんだ! ダメだろ! ゆるすぎる! 遊びがすぎる! とガンガン指摘が飛んでくるようになりました。
えー、先月とやってること一緒なんだけどなーとか、去年の今頃は死にかけててんけどなーとかいろいろ考えてしまうし、でもこれってチャンスだよなーとかも思うのです。
そんなときにイマココって愚痴るといなんじゃね? と人生で初めての感情がよぎりました。
そして一番信頼できる友達に、こんなことがあってさーと話しました。
するとなんというか、それだけで重いリュックを一旦下ろしたかのようなスッキリした気持ちになったのです。
またもう一度そのリュックは背負うのですが、少し下ろすことでまたもう一度背負う力がチャージされます。
愚痴ることは充電の効果があったのかと、社会人15年もたって知りました。
愚痴ってばっかりのやつら病気じゃないのかと思ってきましたが、病気になったのは私です。
そしてその私が愚痴を言ったとき、これは自分を病気から守る1つの手段になるのだなと確信しました。
愚痴ばかりだと病気かと思われるけど、愚痴を言わないと病気になるという話でした。